2016年03月08日
いくつかの変更。
これをもって、当ブログの更新は最後になり、以降ぼくは以下の場所で書くことを続けていきます。
「二階の窓から見てみると」
http://nikainomad.blog.jp/
というわけで、長い間か分からないけれど、このブログを読んでくれてありがとうございました。さようなら。
と、いかにも男らしい感じで潔く去ってみようかと思ったけれど、なんだか似合わないハードボイルド気取りみたいでいい感じがしないので、もう少し話をします。
これはまあ、よくある「ブログ引越し」の一つではあるのだけれども、移転先の様子はこれまでとは少し違っていて、いくつかの変更点があります。
1.ブログの立ち位置
〈これまで〉ぼくの個人ブログ
↓
【これから】「二階の窓」(何だそれはという人は、「これ」を見ればわかります)のブログ
2.更新の仕方
〈これまで〉気が向いたときに不定期に
↓
【これから】月~土まで週6日
3.記事の内容
〈これまで〉書きたいことをなんでも自由に
↓
【これから】毎曜日以下のテーマに沿って
月:「考えてみると」
=私信のようなもの
火:「ぼくらの日の本」
=国内ニュース
水:「息抜きがなければ意味がない」
=文化的息抜きの話
木:「海の向こうはどうだろう」
=海外ニュース
金:「こんなことが書いてある」
=本などで読んだこと
土:「業務連絡」
=「二階の窓」の業務連絡
前にどこかで同じことを書いた気がするけれど、このブログはぼくにとって「三代目」で、だいたい20歳の頃からこういうスタイルで文章を書いているわけだから、もうすぐ10年(途中いくつかの長期中断をはさみつつ)こういうことをやり続けているということになります。
果たして10年の間に文章や視点の説得力なんかにいくらかの前進があったのか、今ひとつよくわからないけれども、ともかく10年という時間はそんなに短いものでもないわけで、ひとつ確からしいこととして言えるのは、自分の二対の目や耳や脳みそを使って見たり聞いたり考えたりしたことを自分の言葉に乗せて文章の形にするというこの手の行為が、ぼくという人間にとって「とても向いていたらしい」ということです。
ぼくは毎回(ほんとうに)このブログを実に楽しみながら書いていてたし、ときに穏やかでない題材を扱うこともあったけれども、それでもなお、こうして文章を作っていく過程の中で、その「穏やかないもの」を中和しにかかるような、これは対抗軸になり得るんじゃないかと思うような価値観を精一杯の抵抗みたいに示すことが、ほんの少しだけでもできたのではないかと、そう思っています。
そして、今回こうやってブログのスタイルにいくつかの変更を加えてみようと思ったのは、その変更を通じて、ぼくの書き手としての立場や代表する価値観をもう少し明確な形でくっきりと浮かび上がらせてみようと、そういうことが必要な時期が来ているのではないかと、そう思ったからです。
ぼくは文章とは広い意味での「声(voice)」だと思っています。
今のぼくの文章がほとんど限定的な範囲でしか認知されていない「とても小さな声」だとしても、「声」はまた別の「声」と響き合うことができるものだから、それはある場所ではきれいなハーモニーの一部になるかもしれないし、またある場所では不条理に対する抗議の声になるかもしれないし、あるいはまた別の場所では誰かの声を求める誰かのための励ましや支えになるかもしれない。
ぼくはそういう風に考えて、こうしてブログ書きを続けてきました。
そして、そのような「声」の特長をもっと生かそうとするならば、もっと「強い声」を出そうとするならば、その「声」には「顔」がついていることが望ましい。
その「声」の出どころにどんな「顔」があり、そこにどんな生活の様子や価値の持ち方があり、どのような立場を代表するものとしてその「声」が発せられているのか。
その「声」の後ろ側にどのような風景が広がっているのか。
今回ブログの書き方にある種の制約を与え、「声」の出し方に規則性や多面性のようなものを条件として付け加えてみることで、そのような風景を立体的に立ち上げることができるのではないか、それがひいてはぼくの「声」の信頼性や説得力に好ましい影響を与え、文章の書き手としてまた違った地表に、より広々と世の中を見渡せ、より深く物事のあり方を見つめられるような場所に、立つことができるのではあるまいか。
そんなことを考えて、今回、こういうことをやろうと思い立ちました。
というわけで、昨日の月曜日から「二階の窓から見てみると」がスタートしています。
お気づきのように、このブログの「考えてみると」というタイトルは、新しい方でもいわゆる「コーナー名」として残しました。
「考えてみると」、自分で言うのもなんだけど、けっこういいタイトルだと思いませんか?
この名前が付いたことでこのブログは規定みたいなものがほとんどない自由な場所になったと思うし、その自由の中でぼくはどこに向かうでもない思案のあれこれをあてどなく繰り広げることができたわけで、それはかなり例外的に幸運な、嵐の中の凪みたいに心の休まる、貴重な時間であったと思います。
そして、そのようなとりとめのない考えを大皿にぶちまけたみたいなこのブログを時間を割いて読みに来てくれて、ときに面白がってさえくれた人がけっこういたということは、少なからぬ驚きであり、より大きな励ましでした。
そのことに感謝して、次に進みます。
ありがとうございました。
「息をするたびに、君と僕は、小さなささやきを大きな叫びに変えていくことができるんだ。」
(BONJOVI/I BELIEVE)
=海外ニュース
金:「こんなことが書いてある」
=本などで読んだこと
土:「業務連絡」
=「二階の窓」の業務連絡
前にどこかで同じことを書いた気がするけれど、このブログはぼくにとって「三代目」で、だいたい20歳の頃からこういうスタイルで文章を書いているわけだから、もうすぐ10年(途中いくつかの長期中断をはさみつつ)こういうことをやり続けているということになります。
果たして10年の間に文章や視点の説得力なんかにいくらかの前進があったのか、今ひとつよくわからないけれども、ともかく10年という時間はそんなに短いものでもないわけで、ひとつ確からしいこととして言えるのは、自分の二対の目や耳や脳みそを使って見たり聞いたり考えたりしたことを自分の言葉に乗せて文章の形にするというこの手の行為が、ぼくという人間にとって「とても向いていたらしい」ということです。
ぼくは毎回(ほんとうに)このブログを実に楽しみながら書いていてたし、ときに穏やかでない題材を扱うこともあったけれども、それでもなお、こうして文章を作っていく過程の中で、その「穏やかないもの」を中和しにかかるような、これは対抗軸になり得るんじゃないかと思うような価値観を精一杯の抵抗みたいに示すことが、ほんの少しだけでもできたのではないかと、そう思っています。
そして、今回こうやってブログのスタイルにいくつかの変更を加えてみようと思ったのは、その変更を通じて、ぼくの書き手としての立場や代表する価値観をもう少し明確な形でくっきりと浮かび上がらせてみようと、そういうことが必要な時期が来ているのではないかと、そう思ったからです。
ぼくは文章とは広い意味での「声(voice)」だと思っています。
今のぼくの文章がほとんど限定的な範囲でしか認知されていない「とても小さな声」だとしても、「声」はまた別の「声」と響き合うことができるものだから、それはある場所ではきれいなハーモニーの一部になるかもしれないし、またある場所では不条理に対する抗議の声になるかもしれないし、あるいはまた別の場所では誰かの声を求める誰かのための励ましや支えになるかもしれない。
ぼくはそういう風に考えて、こうしてブログ書きを続けてきました。
そして、そのような「声」の特長をもっと生かそうとするならば、もっと「強い声」を出そうとするならば、その「声」には「顔」がついていることが望ましい。
その「声」の出どころにどんな「顔」があり、そこにどんな生活の様子や価値の持ち方があり、どのような立場を代表するものとしてその「声」が発せられているのか。
その「声」の後ろ側にどのような風景が広がっているのか。
今回ブログの書き方にある種の制約を与え、「声」の出し方に規則性や多面性のようなものを条件として付け加えてみることで、そのような風景を立体的に立ち上げることができるのではないか、それがひいてはぼくの「声」の信頼性や説得力に好ましい影響を与え、文章の書き手としてまた違った地表に、より広々と世の中を見渡せ、より深く物事のあり方を見つめられるような場所に、立つことができるのではあるまいか。
そんなことを考えて、今回、こういうことをやろうと思い立ちました。
というわけで、昨日の月曜日から「二階の窓から見てみると」がスタートしています。
お気づきのように、このブログの「考えてみると」というタイトルは、新しい方でもいわゆる「コーナー名」として残しました。
「考えてみると」、自分で言うのもなんだけど、けっこういいタイトルだと思いませんか?
この名前が付いたことでこのブログは規定みたいなものがほとんどない自由な場所になったと思うし、その自由の中でぼくはどこに向かうでもない思案のあれこれをあてどなく繰り広げることができたわけで、それはかなり例外的に幸運な、嵐の中の凪みたいに心の休まる、貴重な時間であったと思います。
そして、そのようなとりとめのない考えを大皿にぶちまけたみたいなこのブログを時間を割いて読みに来てくれて、ときに面白がってさえくれた人がけっこういたということは、少なからぬ驚きであり、より大きな励ましでした。
そのことに感謝して、次に進みます。
ありがとうございました。
「息をするたびに、君と僕は、小さなささやきを大きな叫びに変えていくことができるんだ。」
(BONJOVI/I BELIEVE)